4年。

_CCC1265東日本大震災の地震から4年になった。4年のその時刻は偶然な日のめぐりか自宅で嫁さんとふたりで過ごした。諸々やることがたまって押しつぶされそうだったけど、比較的平穏だった。

「震災」それ自体はいまも続いている。今日もどこかで誰かがふと絶望を感じているだろうし、そうならないようにしたいと願っている人もたくさんいる。そしてどういうわけか相当量のパブリックフォーラムが開催される国連防災世界会議の会場である仙台に今いる。

仙台にきたのは久しぶりだ。2011年と12年はちょくちょく情報交換などで顔をだしたが、僕が身をおいているJCN事務局の体制が変わったせいもあり、あまり現地に赴くことはなかった。いまとなっては仙台駅界隈はもはや現地でもない。

一昨年に僕個人もちょっと体を壊したし、そのあと親父が逝ったりしたけど、結局また仙台駅のドトールで葉巻きを大量に吸って生きている。嫁さんにもいろいろあったし相当苦労もかけたけど、ちゃんと生活している。人生はずいぶん変わったのだろうけど、高校の頃に「**なひとになりたい」と思ったことが実現できている気もする。

業務では「忘れない」キャンペーンなど仕掛けているけど、僕自身は1日もわすれないでそれをシゴトにしてきたせいもあって正直、忘れたい日もある。当事者ならなおさらだと思う。

先日JCNが主催している某ミーティングの全国版とやらで最後代表があいさつをしたとき、Ustreamの中継にむかってカメラ目線をしてこう訴えた。強く印象に残っている。「これを見ている避難者のかたがた、どうか絶望しないでください。」と彼は言った。

彼に限らず、この言葉はいろんなひとから聞いた。このシゴトに関わる前から、絶望とは「死に至る病」だと件の本に書かれていたし、自分がそうなりそうなこともあった。まったく同じというと当事者に大変失礼だけれど、その苦しみといったらこれ以上ないわけで、可能なら切って捨ててしまいたいけどでも捨てられない…。だからそれ以降無防備にそれに接しないように生きてきたつもりだった。

でも結局身をおいている。何かの因縁だろう。僕に与えられた険しい道だと思っている。

そして最近奇妙な夢を見る。自衛隊時分の親父が雪中訓練中にぶっ倒れた僕にニヤニヤしながら近づいて「おい、起きろ。行くぞ」と呼びかける。親父からは多分倒れている僕は、息子じゃなくて同じ隊の同僚かなんかなんだろう。意味がさっぱりわからない。

険しい道をゴールしたら、お迎えでもきて同じことを言われるのだろうか。

「Walk with 東北」― 今だからできることがある(inspired by「ウォーリーを探せ」)

(12月4日に、Twitter経由でたらたら書いていたのをまとめたもの。)

Walk with 東北 今だからできることがある

東日本大震災の記憶の風化は進む。そして支援に向けられていたリソースはどんどん先細っていく。そして多くの、本当に多くの人たちが「自分はもう東日本(大震災)のことで役立つことはない」と思っている。でもあげた声をまだやめていない人達がいる。握った拳をまだ解いてない人がいる。

僕のアイコンの左上にあるロゴは「Walk with 東北」と書いてある。ショルダーに「今だからできることがある」とある。今とはあの日でない今、そしてこれからのこと。日本中で行われている支援の灯りを最初の頃の地図のようにまとめてみようか。

原点回帰。誰がどこで何をしているのか?をまとめる。「今できること」を問われたら、意外と近所で再来週に何かの学習会とか交流会とか復興市とかあるかもしれない。そして見に行くツアーだってあるし、難易度高いかもしれないがボランティア活動だってある。

東北で働くことを考える人もいる。支援プロジェクトに参加する人もいる。今月だってクリスマス会をしようと会議をしている人達もいる。復興の現状をインフォグラフにしている人も。でもいま活動に関わっていない普通の人にとっては、もうそんなの見えないのかもしれないんだ。

でもよく探してほしい。実は目の前で堂々とやっているかもしれない。明日お昼ごはんを買いに行くお店に募金箱があるかもしれない。電車の中吊り広告にそっとまぎれて復興市とかあるかもしれない。本当によく探してほしい。たぶんそれは「ウォーリー」を探すより簡単なはずだ。

ウォーリーと中吊り広告の違いは「いつも同じ格好をしているか/していないか」だ。一方通行の標識が北海道から沖縄までみんな同じように、これは東日本支援の活動なんですっていう「目印」が絶対必要。市場規模みたいなのを底上げしないと危ない。だから「目印」は絶対必要。

ですのでお願いです。日本中のどこかで東日本大震災の支援活動をいまもしているかたがたへ。そしてそれを応援している、脳内でもいいので応援しているアナタ。どうか目印としてチラシや自分のアイコンの隅っこ、会社や団体のウェブに「Walk with 東北」のロゴを掲げてください。
(FacebookやTwitterのアイコンにロゴを付けたい人はこちら)
http://www.picbadges.com/badge/3768920/
「Walk with 東北」― 今だからできることがある
http://walkwithtohoku.jp/

1・17に思う?

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大変不謹慎かもしれないが、実は僕は1.17自体には特別な思い入れがない。

今に至るまでは災害のことをいろいろやってきたので、阪神淡路大震災が関係者のみならず、多くの人にとって特別な日なのはわかっている。でも、僕個人にとってのそれは随分違う意味合いを持つ。

1995年正月。僕は長野県にある病院の一室で過ごした。その前の年からよくわからない異変に苛まれ、その治療法ですら半信半疑で入院していた。当時19歳。主治医は親父とオカンに、息子さんは後遺症が残って障害者になるから覚悟してください、と言っていたようだ。

(当時の記憶は後でいろんな人に聞いて取り戻したのだけど)

1月16日。夕方に発作を起こし暴れる。この病棟には諸般の事情から男性看護師が多く、二人ほどに取り押さえられそのまま後ろに引きずられて行った。そのあとドクターが鎮静剤でも打ったのだろうが、よく覚えていない。そしてそのまま寝てしまった。

1月17日早朝。再び発作を起こし大声をあげて意味不明のことを言っていた。なにか慌てる感じで必死な様子だったようだ。例のように取り押さえられ、複数の点滴を打ってそのまま数時間がたった。

朝9時か10時。朦朧としながら目を覚ますと、なんとも表現のしようのないドクターのニヤついた顔が目の前にあった。悪い気はしなかった。

「岡坂くん、ご飯まだだろ。食うか?」

先生と呼ぶには程遠い雰囲気の彼が問いかける。
首を縦に振ると看護師に連れられて食堂に入った。食堂にはテレビがある。病棟のみんなが何かしながらずっと、画面の方を見ている。

僕も同じ方向に目をやった。
何か黒いものがぐちゃぐちゃになって燃えていた。後でわかったことだが、それは倒れた阪神高速の映像だった。

当時、頻繁に幻覚のある状況に居たので、件のドクターに言われていたことを何かの呪文のように思い出した。

「いいか、あり得ないものが見えたら、頭の中で全て否定しろ。いいか、全てだ。そして冷静に周りと話しながら現実を確保するんだ。自分の中を観るのも忘れるな」

そして、その通りにした。
皆が画面を一身に見ている風景を否定し、画面に映る黒く赤いものを否定し、それが見えてしまった自分の思考を否定した。

すると、目の前には少しまずそうな、時間が経って冷めた朝食が目に入った。前の日の夜から何も食べていなかったので、黙々とそれを食べ尽くした。そして「いただきました」の代わりに、隣にいた看護師にこう切り出した。

「いま、食堂にいるみんながテレビを見ているように見えます。テレビには何か黒いものが燃えているように見えます。これは何かの幻視だと思うのですが、そうですよね?」

看護師が言う。
「それは私からも見える。大丈夫。」

僕はそのまま病室に戻った。正直、何が現実かなんてどうでもいいことなのかもしれないと思った。当然その数ヶ月後に東京で起こった某事件も同じように僕を混乱させた。

その翌年、よくわからないまま大学に入り、震災の現場に行った。地割れした歩道。仮設住宅。仮設店舗。児童養護施設。壊れたアーケード。否定しようのないことがあの時に起こったのだと2年目にしてやっと理解した。

その年、苛まれていた病から突然解放された。もう治ったのだから、何も気にしなくていい。と突然言い渡された。なったことは無いがそれはまるで、刑期を終えて出所する人のような心境だった。

そのまま生きてきたので、今に至っている。ただわかったのはそれがとても珍しいことで、「きっと神様が…」みたいな概念を持ってこないと説明がつかないということだった。

(僕が拾った、あるいは僕が拾われた残りの命、多分なにかに使わねば、きっとバチがあたるのだろう。)

そして、この一連のことから僕が学んだのは、現実は幻覚よりもずっと奇妙で、ずっと魅力的だということだった。

親父が逝く。

「お前、東京都の仕事ちゃんとやってきたのか ?」…これが親父の最期の言葉だった。「東京都の仕事」とはビッグサイトで開かれたイベントのスピーカーのことだ。

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玉露を水出しに。

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気づくと我が家に、なぜか玉露ばかりがストックされていたので、最近買った水出し珈琲の容器で玉露を水出しに。

細かいフィルタのうえにひとパックを豪快に入れ、上からゆっくり水を注ぐ。すると、フィルタのしたからゆっくりと雫が落ちる。

雫を眺めながら水を注いでいると、お茶の葉がふやけて膨らんでくる。そこからさらに水を注ぎ、ボトルいっぱいになるまでゆっくり待つ。

うむ、そろそろいいんじゃないでしょうか。それではいただきます。ズズッ

…おおお、これはこれは旨味が拡がる素晴らしい味。ペットボトルのお茶とは比べものにならない、強烈な旨味。昆布だしでも入れたのか?と思うくらいの柔らかい味が口の中に拡がります。

とまあ、贅沢な時間に。

ブログを再開します。

東日本大震災があって以来、自分のブログを更新する気にはなれなくてずっとそのまま放置していた。このブログは10年前から細々と続けてきたが、昨年の2月から何も書かれていないことが分かった。気づくと最後の方はTwitterのコピーだ。この10年もの間、インターネットやウェブは随分と進んだ。モデムでダイヤルアップしていたものが、いまやスマホになり、無線LANなどなくてもモバイルルータで接続する。ポケベルがルータに代わってフツーにつかわれるなんぞ、あのとき誰が想像したか?

そしてどういうわけか気が向いて、今日ちょっと前のバージョンのMTでできたサイトをさっさとWordPressに乗り換えてデザインを整えたあと、数年間そのままになっていた自分のプロフィールを書き換えた。今や自分のブログなど持たなくてもFacebookにかけばいいし、ツイートすればいいし、写真をInstagramに載せればいいし…ともはや自分のブログなど不要なのかもしれないが、自分の軌跡として、ここはあえて残しておく。

これまで大学時代からボランティア情報を扱い、NPO職員として地域の市民活動のために動き続け、時折被災地に赴いてボランティアの手伝いをした。東京に就職して危機管理情報やITのイロハをかじったあと、再びNPOに踏み入れて激変した職場環境に驚きながら過ごしていた矢先に、この度の事象、東日本大震災をむかえた。災害救援の環境も目まぐるしく変わり、私の立場もJCNの事務局として霞ヶ関やら大手町やら県庁所在地やらよくわからない業務になった。その間、心身の病にいくつか罹り、苦しみながら何とかやり過ごし、確かにこうしておかげさまで立ち尽くしたままでいる。

さあ、次の事象のために何の技術が必要で、それを使いこなす人材は何なのかを世に問う時が来た。

2012-02-20

  1. 11時。眠い。
  2. “被災地の情報をUstreamで伝える「いわみんTV」が100回めの配信 – ニュース:ITpro http://t.co/LZRXl1Qa
  3. “tacoh’s random diary annex – 行政広報にとっての被災地瓦礫広域処理 http://t.co/9OL4p6bs
  4. “ほぼ日刊イトイ新聞 – ほぼ日刊イトイ新聞 – 吉本隆明が語る親鸞 http://t.co/q59MqKmp
  5. “EICネット[環境イベント情報 – 「除染ボランティアを考える」~意見交換会・市民によるガイドラインづくり~] http://t.co/eQCko9as
  6. “rescuenow.net – 東北大学による東日本大震災1年後報告会(3/11開催:仙台市青葉区) http://t.co/FRpGZpDG
  7. 肩こり過ぎて頭が痛い。
  8. 日々是バタバタ。そもそも自分の巻いた種、身から出た錆。耐えながら少しずつ磨き、昨日よりかはマシにする。その繰り返し。
  9. いよいよ今週です。サブタイトルは「一周年を前に、改めて、被災者・避難者の声を聴く!」。 “2月24日開催 「第3回 東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)現地会議 in 福島」のご案内 http://t.co/WgyT2wi7
  10. デイリー・ケーンオカサカ 紙が更新されました! http://t.co/rQU2xbrH ▸ 本日トップニュースを提供してくれたみなさん:@v_diet@iina_kobe@funkfumi@supervisor0901@kiyosuke0418

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2012-02-18

  1. デイリー・ケーンオカサカ 紙が更新されました! http://t.co/rQU2xbrH ▸ 本日トップニュースを提供してくれたみなさん:@medishare_news@exhige@ykfksm
  2. 発想と議論のプロセスが面白い。”山中俊治の「デザインの骨格」 – 車輪を持った生き物 http://t.co/6ajffjYI
  3. “豪雨災害と防災情報を研究するhttp://t.co/3BvdEkcx別館 – 「津波てんでんこ」の「定義」に,「正しい解釈」「間違った解釈」などないでしょう http://t.co/yddg2BPW
  4. “静岡県原子力防災訓練 SPEEDIで避難方法検証 | 静岡新聞 http://t.co/6tFStZXR
  5. ああもしそうなったら…嫌ですねぇw。@dvcg2003: その薬で胸焼けしたりしてね(^o^;)
  6. 昨夜は隣の団体さんの会員サロン(落語会)のお誘いを受けた。古今亭菊千代、露の団姫、古今亭ちよりんのお三方。いつも殺伐とした会議をしてるあの部屋でまさか落語が聴けるなんて…w。
  7. 胆石の薬がきれたので、近所のクリニックを初診。ついでに「胸やけがする」と言ったら、しこたま薬が増えた。うーむ。

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