- 2008年6月 3日 08:44
- ithink:思考
あいかわらずコンソールの傍らで連日四川やミャンマーの救援情報を見たり聞いたりしている。災害情報とは言うが結局のところ如何に命を護れるかである。以前から「天の声」とはどんなものかイメージしていたがそろそろそれが技術的に可能な時代になったような気がする。命を護るあるいは悲しみを鎮めることが直接的にも可能だとして、その具体的な仕組みを考える前にそもそも命(あるいは血の通った)とは何だったかを考えなくてはいけないような気がする。しかもやや工学的に。家族とのコミュニケーションをあるいはモーニング作業をどう支援できるか。生きていくためのリソースをどう導き出すか、そういった情報を入れる器に何が最適なのか。
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