- 2008年9月17日 08:29
- active in disaster:防災と災害
確か小学校何年かの9月、運動会の鼓笛隊をやるために全校練習が計画された。この日はあいにく雨だったため校庭でやるはずの練習が急遽体育館になった。全校児童550人ほどの田舎の小学校。小学校サイズの小さな体育館でも人間が小さいせいかなんだか知らないがぴったり収まった。1年生はカスタネット、2・3年生は鍵盤ハーモニカという感じで全校児童が例の「信濃の国」を大合奏しながら行進する。ステージ上で音楽の先生がややオーバーなアクションで指揮をする。まずは行進の練習からというので楽器をもったまま足踏みだけ始めた。「ズンズンズン…」と足踏みの音がする。さすがに500人以上が足踏みするとこんな音になるんだと少々驚きながらみんなでひたすらその動作を繰り返した。そしてその足踏みにあわせるかのように体育館まで揺れ始めた。天井の水銀灯もゆらゆらと揺れ始めた。そこは理科の実験で毎日感動のある小学生のこと、この現象も当然「スゲー揺れてるよ。体育館」と誰しも思った。
「ピー。止まれー!止まれー!。全員その場にしゃがんで!!」
周りにいる先生があわてた表情で叫ぶ。しばらくざわついた後全員がしゃがみ終えたはずが体育館の揺れが止まらない。それでやっと一連の揺れがあの「地震」だったことに気づいた。防災の日の訓練のように隠れる机もなく、防災頭巾も教室に置いたまま食らったこの地震はそれなりにショックだった。しばらく横揺れが続いたあと窓ガラスがミシミシと音をたてたが結局大きな被害はなかった。-長野県西部地震。あの日は数日大雨だったせいもあり、山の向こう側の大滝村では土石流の被害もあった。
長野県南部に生まれたせいか小学校の授業で教科教育以外は殆ど戦争と差別とダムの話だったような気がする。戦争とダムの裏返しのテーマに防災があったように思う。当時ダム教育は治水のため重要なんだという趣旨で行われていて、用水を引いて農業ができるようになった伝説や過去の豪雨災害で川の氾濫による死者が出た話などが主な内容だった。そのころ突然まちの中の火の見やぐらが新設され、防災無線が整備、近所に可搬ポンプの収納庫ができた。子供ながらにこれで空襲警報でも出すのかなと思った。(いまの配備ならそれはある意味正解だが…。)あとでわかったのだが当時は行政が可搬ポンプを配備する代わりにその管理者のような意味合いで地区側に自主防災会の組織化をはたらきかけていたようだ。
それが今から20年以上前の話。1980年代。
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