- 2009年7月14日 02:36
- ithink:思考
最近、朝起きると携帯でサイボウズをみる前後にモバツイッターをみる癖がついた。重宝しているのは地震や天気、ニュースがなんとなくチェックできる点と、フォローしている他人が考えていることの断片が毎朝みられる点。
ポストしている本人も思いつきで入れているのだろうし、1つ1つをあまり深く考えているわけでもないだろうけど、まとまった話は結局ジャストアイデアや思いつき、ボツネタの積み重ねなのだろうから、そういうものの途中経過が流れで見えるのは朝見るものとしては刺激があっていいかもしれない。(もっともツイッターは常時見るものですが。)
ニュースのようなものと個人が考えていることが最近細切れになって混ざりつつある。そうすると少し古い世代の人は「まとめが欲しい」と訴える。何を見ると標準的な情報が得られるのかというテンプレートが欲しくなる(らしい)。欲しい情報は個人で勝手に設定して勝手に得てください_という話が通じないようだ。
その文章に適当なキーワードをあてて、見る側がその話をゲットしやすくする、というものに「タグ」がある。少し前でいうと「キーワード」か。ネット検索も今やリアルタイムになりつつあるし、まとめる作業はもう機械が自動でやることだとも思う。在庫だけはそろえておいて、あとは勝手に取っていってください...という情報のスーパーマーケット方式。するとそこには「大将おすすめは?」とか「適当に頼む」とか言う会話は一切ない。オーダー側も考えて注文しなくてはいけなくなる。
情報の投げ手と受け手が一切の会話なしにそういうやりとりをするのって何かさみしいとか、情報の重みづけがされないとかいろいろ問題もあるだろうし、バラバラになったパーツだけが散らばっているのを適当に素人が寄せ集めても美しいものはできない_なんて話もあるだろう。
でも、(個人的な感情でいけないが)特殊な技能を持たないと**ができない_という構図がそもそも気に入らない。「これは大事、だから専門の**が必要で素人はやるべきでない」一見普通に聞こえるかもしれないが、その要件が大量に発生したときに果たして同じことが言えるのだろうか。素人とプロは混ざったりしないだろうし、最低限のものが守られれば美しくなくてもいいんじゃないかと思う。
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